野乃花前日譚 第一章その3

「すなおに なおらぬ きずばかり」 

[3-1 期待外れ]

 この日の夜空は雲一つない晴天だった。ほのかな光を放つ星達の中で、三日月がにっこりと私に微笑みかけていた。

 気持ちの悪い空だった。

 昨日は心象風景バッチリの曇天だったというのに、気が変わってしまったのだろうか。お天道様に嫌われるようなことをした覚えは……あるけれど。

 河川敷の草むらで、唯一の悪友とそんな晴夜を眺めながら、私は今日の一部始終を話した。

【真澄】

「萌は、もう大丈夫なんだ……私がそばにいなければ、勝手に立ち直っていく。元々あの子は、そうやって自分を癒やすのが上手なんだから」

【つばき】

「………なるほど」

 ぎこちない頷き。こういった状況に慣れていないのだろうか。

【真澄】

「私は邪魔者なのに、舞沢さんにあんな目を向けられる理由が分からない……何も事情を知らないはずなのに……」

【つばき】

「まあ、真澄って結構顔に出るタイプだからねえ。察しのいい人なら、萌ちゃんと真澄の間に何かあったってことくらいはうっすらとわかるんじゃない?」

【真澄】

「そうなのかな……だとしても、そこで萌じゃなくて私に、あんな優しい目を向けるのは、やっぱり理解できないよ」

【つばき】

「………」

 今になって振り返ると、我ながら面倒くさい女だったな、と申し訳ない気持ちになる。

 この時の私は、つばきの言葉を凝り固まった主観で撥ね除けてしまうような状態だった。他人に縋っておきながらなんと自分勝手な態度だろう。恥じずにはいられない。

【つばき】

「……ま、あんまり考えすぎない方がいいよ。ひょっとしたら、真澄をただ単にぼーっと見つめていただけかも知れないよ。そのマイサワさんって人はさ。……ん? 舞沢? ……まあいいや」

 言葉の響きに何かひっかかりを覚えたようだった。大事なことが判明するチャンスだったのだが、つばきは大して気にすることでもないと思ったのだろう。かぶりを振って仕切り直した。

【つばき】

「どうにもならない時は、何か別のことに逃げちゃえばいいんだよ。それこそ趣味とか。真澄、音楽とか好きなんだっけ?」

【真澄】

「まあ、それなりに……」

【つばき】

「好きなジャンルは?」

【真澄】

「……ボーカロイド……とか……」

【つばき】

「なんかおすすめの曲とかないの? いっしょに聴こうよ」

【真澄】

「えっ……と……」

 勢いに押されるまま、自分の好きな曲を思い浮かべてみる。

 夢想を旅するような極端に明るい曲か、暗い海を酸素ボンベなしで泳ぐような極端に暗い曲しか出てこなかった。

 今はそのどちらにも感情を置くことができない、いや、置いてしまいたくない。

 自分の犯したことから逃避することに、得体の知れない恐怖を覚えている。

【真澄】

「ごめん、今は……その……」

【つばき】

「――なるほど、りょーかい」

【真澄】

「……ごめん」

【つばき】

「なんつーか、みんな無理してると思うんだよね。話聞いてる感じ」

【真澄】

「無理……?」

【つばき】

「ウチにはそう見えるな。みんな強がりなんだなって」

【真澄】

「それってどういう――」

【つばき】

「悩んでいるのは真澄だけじゃない。そのことは、頭に入れておいた方がいいかもね。それじゃ」

[3-2 加害者の悔恨]

 つばきは私の質問には答えてくれなかった。

 言いたいことだけを言い残して、どこかに消えてしまった。

 この悪友はいつもそうだ。気まぐれに現れては、自分が満足するとすぐにいなくなってしまう。

 仕方ないので一人で帰ろうと立ち上がる。歩き始める前に、現在時刻が気になってスマホを起動した。

 久々に見た通知欄には、見慣れないアイコンからのメッセージがあった。

『突然すみません。舞沢野乃花です。妹さんから聞いて勝手ながら登録させていただきました』

『勘違いだったら申し訳ありません。萌との間で何か悩んでいるように見えました。何か困ったことがありましたら、アタシにご連絡下さい。力になれると思います』

 ぞっとした。優しさを向けられたという認識は間違っていなかった。

 「力になれると思います」なんて、会ったばかりの人間に対して、どうしてそんな自信満々なことを言えるのだろうか。

 みんな強がりに見える。というつばきの台詞がフラッシュバックする。

 強がり? みんな?

 その「みんな」の中には、もしかして私も入っているのだろうか。

 違う。

 私は強がってなんかない。

 ただの弱虫だ。

 だから耐えられない。自分の過ちが引き起こした事の重大さと、その罪悪感に。

 当時の私はそう思った。そうやって自分を卑下した。

 そうやって、自分のことしか見ていなかった。

 ”悩んでいるのは真澄だけじゃない”

 だから、この言葉もろくに響かない。

 そして見落とすんだ。

 この話で最大の被害者のことを。

[3-3 ねえ許してよ]

 一つ不安がある。

 この先の物語は、時系列に忠実に書いてしまうと、読者の方々にとって、いささか唐突すぎる展開になるってしまうのではないかという不安だ。

 そうならないためにも、思い切って結論から書いてしまおうと思う。

 当時の私は、間違いを犯していた――いや、これまでも沢山の間違いを晒してきたと思うのだけれど、それらに加えて一つ、重大な間違いがあったのだ。

 それはずばり、萌はもう大丈夫だと思い込んでいたこと。

 当時の静間萌を振り返る。

 15歳。高校1年生。明るくて快活な笑顔が似合う少女。

 部活はバレー部に所属していた。1年生ながら中々の実力者だったそうで、先輩達には一目おかれていたらしい。

 人に傷つけられたとき、その人物に対して何事もなかったかのように振る舞う特徴がある。

 その理由を聞いたことがなかった。

 もっと早く聞いておくべきだった。

 その態度が何を支えていて、それがないと何が折れてしまうのか、もっと考えておくべきだったのだ。

 事件は週末に起きた。

 萌はリビングの床で崩れ落ちていた。

【萌】

「お願いだから、今は何も言わないで……放っておいてよ……」

【真澄】

「………」

【萌】

「ねえお姉ちゃん。萌の脚ね、動かないんだよ……」

【萌】

「萌、ここから一歩も進めないよ……」

 なぜこうなってしまったのか。

 その理由は、また次回話すとしよう。

 今月はここらへんで。

 それではまた。