前日譚『ストロビーション』

自然、のどか、田畑。

この町をPRをするならそう打ち出す。と言うよりも他にないと言った方がいいだろう。

澄園家に来てまだ数日と経たない私でもそう感じる。

それは一見すると負の面の様に感じるかも知れないし、人によってはまたその逆に感じるかも知れない。発展するにつれて利便性と共にそれら田舎の特徴はすべからく排他されるのだから言い方次第、というよりも極端な言い方しかできない。

けれども、今の雑多で煩雑な世の中ではその不便性に根付く『田舎』と言うキーワードに心の平穏や余生を求めて移住するのも最近の流行りになろうとしているし、そういった運動も最近では活発だ。

実際に私もそうなのだから、需要があるのは間違いない。
もっとも時計を早回しする様に、そんな需要からこの町は段々と離別をしようとこの新棚学園が語っている。

そんな事を何語で語ろうと目の前の知人には話は通じず、何知らぬ顔でまるで何も考えてないように気持ち良さげにその、マシュマロの様に柔らかいお腹を太陽へと差し出している。
その毛むくじゃらな三色のお腹をもふもふ撫で回すのが二人の挨拶となっていた。
最近になって出来た知人。猫なのだから人ではないのだけれど、知人猫と言うべきか。
人とも猫ともついていて何だか矛盾しているが、その語呂の良さに一人勝手に納得する。

三毛猫もとい知人猫は退屈したのかゆっくりと立ち上がると、足元へとすり寄ってくる。
マーキングだ。私はいつの間にか三毛猫のテリトリーも一部になっていた。
洗剤やシャンプーのほんのり甘い香りを満足に上書き出来たのか、納得をした顔でポムポムと柔らかい音がしそうな可愛らしい肉球を校門の外へと向けて体を揺す。途中何か忘れ物を思い出したかの如くふと立ち止まると尻尾をメトロノームの様にしながらこちらを振り向いてニャーと何事かを伝えてくる。
何を言っているのかは分からないが、その鳴き声を無下にするほどの忙しさは持ち合わせてはいない。まだ荷解きを終え切っていない中途半端に開けたダンボール達が俺たちを忘れるなと面倒くさい事この上ない自己主張をしてくるが、猫の気まぐれの前では粗末な事でしかない。
校門の前で一人の男子生徒らしき人物とすれ違うが、その疲れ切った表情すら我感ぜずと無遠慮に彼を横切る。彼もそんな猫に無関心にすれ違うが、さり気なく道を譲ってくれる。根はいい人なのだろう。
当たり前に世界の中心にいて、何の疑問も頂かずに体を揺らす可愛らしい姿にひっそりと羨ましい気持が沸く。そんな気持ちを隠しつつ、知人猫の分も勝手に預かり彼に会釈を返す。

水渡
「……」

詩織
「……」

校門を出ると、まるで小学生が横断歩道を渡る様にきょろきょろと左右に首を振り、やがて今日の散歩コースを決めたのかクリームパンの様なモチモチした手足を動かし始める。
目的地など私は知らないが、その道すがらにあるのは代わり映えのしない何を育ててるのかも判らぬ田園。その澄んだ水路の水底に映る自分の顔に誰だこいつと友達と戯れる様にちょっかいを出すと波紋が広がる。
すると、ゴロンと横になって草花の匂いを確認したり、遊んだりと気持ち良さそうだった。
微笑ましかった。何だか温かい気持ちになる。
小刻みに上下するそのお腹を撫でようと手を伸ばすが、やめろと言わんばかりやんわりと私の手に肉球を乗せ、くりくりとした目を向けてくる。
目線を逸らすとこの町には歪な真新しい建造物が目に入る。学園周辺の立地を覚えておきたかったがこれなら何処でも目印として非常に役立つ。
ニャーと声を掛けてみるとニャーと、町が変わっていく事も将来も微塵も想像していないであろう炭酸が抜けていくみたいに喉を震わせて何処かへ向けて体を揺らし始める。
疎らに咲く桜。蝶が舞う黄色いタンポポ。錆びついたポスト。廃れた公衆電話。

きっとプロが撮ったら絵になるだろう光景。
きっと色んな想いがそこにはあったのだろう光景。
因果交流の光景。

鬱陶しくもある山道とも獣道とも呼べる先の廃れた神社。狙いを定めてぴょんと縁側に飛び乗ると、席が決まっているみたいに尻尾を巻いて毛繕いを始める。
お前はこっちに来ないのかと当たり前の疑問みたいに、夕日に照らされた前足をペロペロと舐めながらこちらを見上げてくるもので、何だか申し訳ない気さえしてくる。
隣で毛繕いをしながら欠伸をしているのが分かった。短くひりだしたニャとも言えぬ声がしたからだ。それにつられて雲が流れていくみたいなほんのりとした眠気が襲ってくる。

縁側から澄園町を眺める。
澄んだ空に流れる夕雲。田園に反射するオレンジ。少し涼しいぐらいの風。
この町にきて良かったと思う。純粋に気持ち良かったからだ。何が、と言われれば直ぐには答えられないけれど、とにかく気持ち良い。タンポポなんて久しぶりに見たし。
少し珍しかった。いや、実家でも咲いていたのだろうけれど、こうして幼子の様に見たのはいつぶりだろうか。

やがて毛繕いに満足したのか、伸びをすると青いスカートが四色に彩られるのも知らないみたいにピンと伸びた尻尾と共に無遠慮に登ってくる。
体制を決めると丸まって涼しげな表情で気持ちよく眠りはじめる。
どうせスカートはもう毛まみれなのだからと、その毛並みを堪能する事にした。

のどかでゆっくりと流れる因果交流の風景。
ビリヤードの玉みたいに、一つの玉が他の玉に当たって、あちこちを無住に駆け回る。 玉は一つまた一つとぶつかり玉突き方式に相互に影響しあって、一見別々に見える斯道を描き始める。それが幾つも重なっていく。
特に今は色んな角度からキューを構えている人達がいて、加速度的に盤面を変えていっている。
今の時代、不便と言ってもネットがあるから欲しいものは直ぐに届くし、コミュニケーションだって取れる。仕事だってどこにいても出来るものもある。
だから私は再開発に関しては賛成とも反対とも言わないし、どうせここにずっと居る訳でも、この町に縁がある訳でもないのだから無責任に口にするべきではないのだろうとも思う。

ただ、どっちが正しいなんてこともないけれど、ここに来る人達は何を見て、どう感じて、どちらを選ぶのだろうか。
呆然とそんな疑問に駆られる。

詩織
「君はどっちを選ぶのかにゃー?」

[了]
執 ルナ 監修 アベレイジ